村井

考え方および生い立ち
1950年生まれ。運動具店を経営していた、両親の間にできた7人兄弟の末っ子。新川小学校に入学。小さいころは、悪がきであったが、家庭教師の先生に恵まれ、川のつく有名校のひとつ、新川中学入学後、一大奮起。ようやく中部高校に入学。真理は、自分で作り上げるものとの、そのころ考え始めた。したがって正しいと感じたことは、直向 『ひたむきに努力を、するタイプ。
中学校時代は、3人の兄が全員野球部であったため、入部する。また、小さい頃から、スキーをさせられ、小学校2年生のとき、函館山山道スキー大会で2位となりややスキーが好きになる。大学までスキー部に所属。
大学卒業後、札幌医科大学口腔外科に勤務。そのころ、故佐々木 元賢教授の下、たくさんの唇顎口蓋裂の子を、担当する。教授が小浜 源郁先生に代わり、知識と患者さんについてのスタンスについて、学ぶ。いずれは函館に戻るとの気持ちを持っていたため、函館で、唇顎口蓋裂の子供たちの医療に携わりたいと思い、東日本学園大学(現 北海道医療大学)歯学部矯正歯科(佐藤元彦教授)の第1番目の医局員となる。在局中、函館での唇顎口蓋裂治療の歯科医の効果的な役割を考えるため、カナダ トロントの小児病院 Dr ロス(cleft lip and palateの著者)の診療室、米国シカゴにある、イリノイ州立大学顎顔面外科主任プルザンスキーの診療室、米国ランカスターにある、唇顎口蓋裂、顎変形症の専門診療観察機関ん、Cooper Insutituteを見学。その後現在まで米国内20箇所の矯正診療所を訪問。1992年ツーソンで行われたtweed meetingにて、Regular Memberとなる。
同校講師を退職後、市立函館病院歯科口腔外科科長として勤務。当時道南地区では初めて、歯科口腔外科病棟をもち、外傷、腫瘍など口腔外科疾患を担当する。
2004年に日本成人矯正歯科学会北海道大会を会長として開催し、北海道に、成人矯正治療を紹介した。
2005年12月には、国際インプラントアカデミーjapanに25年に渡って手がけた人工歯根(インプラント)症例を提出、審査。
認定医として認められた。
現在、日本成人矯正歯科学会役員、成人矯正歯科を担当する歯科医の認定医審査員。
趣味および社会活動

自然エネルギー、ゼロエミッセンスなどを考えた、生き方をしたいと考えている。しかし、地球温暖化防止という大きな目標ではなく、あくまでも「もったいない」という発想からである。2000年より、ISO14001に興味を持ち、職員の知識の向上と、連携をよくするため、認証取得に向け、全員で取り組み、ようやく2002年東京以北の医療機関で初めて認証取得をいただいた。その際、一切のコンサルタントをお願いせず、書類手続きすべてを、当院職員のみで作り上げたことは、当院にとって大きな財産となった。2003年11月には、帯広の歯科医の勉強会で当院職員全員、公演させていただいたが、よい経験を与えていただいた火曜会および船津先生に深く感謝いたします。なお、このノウハウは、ぜひ他の歯科医院に伝えたいと思っている。
その中の、環境方針の1つに、地域との協調を掲げ、美原町会と協力の下、清掃活動を職員全員で担当している。
また、プラネタリウムが、函館にないことから2004年11月、川田、国分、私の中央小学校に通う子を持つ親、3名があつまりプラネタリウムを作ろうとの会を作った。
2005年8月中央小学校の4年生に「夏の星空」を、始まりとし、北美原小学校、中ノ沢小、北昭和小の4校で上映させていただいた。NHKテレビ、STVテレビ、FMいるか、HBCラジオ、函館新聞、北海道新聞、ダテパーなどから取材させていただき、深く感謝いたします。